チリンと首の鈴を鳴らしながら、上等な服を着た大家で飼われる猫がいました。
その猫の名前は三郎と言います。
三郎はなに不自由のない生活を送っていました。
「あぁ、とてもヒマ。ご主人、私は外へ出てくるよ。夕方の飯時には戻ろう。」
そういって縁側でマリで遊んでいた三郎は、あくび一つのこして庭の塀を飛び越えていきました。
外の世界など、今まで興味のなかった三郎は、ただぶらぶらと歩いて、町を抜けて、村を抜けて、原っぱに出ました。
「おや、こんなところがあったのか。」
その原っぱに、ガサガサと動くものがあります。
「何奴?」
三郎が近づいていくと、それはひょっこり顔をあげました。
「僕の秘密基地だったのに、君もここを見つけちゃったんだね。」
三郎と違って、ボロを着た、それでもどこか綺麗な猫が笑って言いました。
三郎は、その笑顔を見て、一瞬で、その猫の虜になってしまいました。
「お前、名前は?」
「雷蔵。君は?」
「私は大家に飼われる三郎だ。」
「そう。」
町の猫なら、大家の猫と聞いてひれ伏すのに、この猫はたったこれだけでした。
三郎は何だか面白くなくて、一生懸命その猫の気を引こうとしました。
「見ろ、この服、南蛮の高級生地なんだぞ。首の鈴だってホラ、一級品だ。」
「そう、僕の服はボロだけど、とても着心地がいいよ。鈴なんてくるしくないの?」
雷蔵は三郎のことを特に気にもとめず、また原っぱに寝転んで、日向ぼっこを始めました。
三郎は何だか無視されているようで、あまり面白くありません。
「私の食事はいつも高級魚で、寝床もふわふわの布団の上だ。どうだい、すごいだろう。」
「君はしらないの?お魚屋さんが気まぐれにくれる魚の味、木漏れ日の中で眠る心地よさ。」
雷蔵は瞳をトロリトロリとうつろにしながら、三郎に言います。
三郎は怒って、雷蔵の上に覆いかぶさりました。
「それに私は強いんだぞ!!力だってこんなにあるんだっ!!」
「・・・僕の着物をめくってご覧よ。」
「・・・?」
スルリと雷蔵の着物の間を広げると、三郎は驚き、目を見開きました。
そこには生々しい傷跡や古いけれど大きな傷跡がいくつもあったのです。
「これは・・・。」
「君は大家に飼われる猫だといったね、なら知らないだろう。外の世界の厳しさを。」
そうなのです、三郎は何も知らないのです。
この猫、雷蔵が好きになっても、雷蔵と同じ視線からは何一つ見れないのです。
雷蔵の言葉に、がっくりと面を下げた三郎を、雷蔵が撫でて慰めます。
「君は大家の猫だ。でも猫は猫だろう?僕と何も変わりはない。ならわかるさ、きっと。」
雷蔵の言葉が三郎に突き刺さりました。
確かに三郎も猫です。
しかし、着物を脱いでもどうでしょう?
雷蔵のように、戦った傷跡や、人間につけられた傷跡など、あるでしょうか?
雷蔵のように、すっきりとした首元で、木漏れ日を浴びたことがあったでしょうか?
「私、きっと分からない。同じ猫でも違うんだ・・・。」
ブンブンと首を横に振る三郎に、雷蔵は顔を上げさせました。
「とりあえず、ここに寝転んでご覧。僕のように、だらりと、原っぱの上に。」
言われるままに三郎は原っぱの上に寝転んで、すると雷蔵が手を繋いできて、ドクンと心臓が飛び跳ねました。
「目を閉じて・・・耳をすませてご覧。ホラ・・・。」
三郎は目を閉じて、耳をすませます。
ササァ・・・サササァ―・・・
草をゆっくり抜けて、自分の顔を撫でていくそよ風。
ポカポカ・・・チチチ・・・チチ・・・
自分の全身を心地よく包んでくれる日差しと、空を自由に飛びまわる鳥の声。
それだけじゃなく、虫が原っぱで飛び跳ねる音や、花の甘い香りまで、三郎は感じることができました。
「気持ちがいいね・・・とても。」
もうずっと、座布団の上、畳の上の感覚しかなかった身体に、草のクッションが新鮮に感じます。
雷蔵の手が温かくて、優しくて、トロリトロリと夢心地です。
「いいものだろう?風を感じる、お日様の光を感じる・・・。確かに人間や野良とのケンカはきついけど、だからこそふとした優しさがとても嬉しく、愛しく思うんだよ・・・。」
あぁ、あぁ、この猫は、こんなにも綺麗だ。
三郎は太陽の光に毛を金に染める雷蔵を見て、改めてそう思いました。
今まで抱いたどんなメス猫より子分にしたどんなオス猫より、この猫は美しいと。
町の猫など、飼い猫など、たかが知れていたのだと思いました。
「私は幸せを取り違えていたのだね、私の考えていた幸せなど、ちっぽけなものだったのだね。」
雷蔵は何も言いませんでした。
ただ三郎に顔を向けて、にっこり穏やかに笑うだけでした。
「・・・私とともに生きてくれるかい?・・・私に新しい世界を教えてくれるかい・・・?」
やっぱり雷蔵は何も言いませんでしたが、つないだ掌にもっと力が入ったことを答えとしました。
三郎は嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうになりました。
一番の幸せは、どんなものか今わかったのです。
(ありのままを感じることも幸せだ、でも、愛しい人と一緒に居ることが一番の幸せなんだね。)
その想いは飲み込んで、三郎は
「雷蔵。」
とただ一言、初めて愛しい猫の名前を呼びました。
緑の香りが心を静めて、二人は一緒に眠りました。
幸せの夢を見ながら。
そして大家に飼われていた猫は、二度とその家に帰ってくることはなかったといいます―・・・。
*おわり*
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